叫んでも届かない愛を。

しがないジャニヲタの頭の中

二宮くん結婚おめでとう

二宮くん結婚おめでとう。

 

 

 

 

 

心の底からそう言えたらよかったと思う。

ごめんなさい。私は強くないので100%の笑顔でこれを言えない。

二宮くんの幸せを素直に祝福できないファンでごめんなさい。

 

 

一晩経ってお相手のこともタイミングのことも、自分の中では割とどうでもよくなってきた気がする。結局のところお相手のことをよく知らないわけだし、タイミングなんてものは時間が経ってみないと最良かはわからないから。なのにどうしてこんなにも心が晴れないのか。

 

Twitterで「有名人の結婚で悲しくなる理由は、向こうが自分の人生にめっちゃ関わってくるのに自分は向こうの人生に全く関わってなかったことを知らされるから」という言葉を見た。

アイドルの人生に(識別できる)自分がいないことなんて百も承知だし、アイドルとお近づきになれるなんて端から思ってもいない。勝手に自分が好きになって勝手に応援しているだけ。

この気持ちは私から一方的に送る愛だ。

そう言って10年以上応援してきた。

 

でもこの気持ちの始まりを考えると、初めて嵐をTVで見たときの感覚は、恋に落ちたときのそれだった。一目惚れのようだった。

1滴の恋を、時間をかけながら大量の愛で薄めていった。

もうこれはほとんど愛だな、と思っていたのに1滴の恋が入っていたことを思い出した。この微量の恋が、心に靄をかける。

一方で、主成分は愛だから好きではなくなるなんてことはできない。今も変わらず大好きだし、これからも全力で応援する。

自分の未来は今までと変わらず、嵐と共にある

 

 

自分でも色々と矛盾した奴だな、と思う。

今までに自分も色々な恋をしたりお付き合いした人がいたりすれば、もっと違う感情を抱いて素直に祝福できたのかなと考えもしたが、恋は薄めるばかりで育むことを忘れてしまったし、考えても過去が変わるわけではない。

 

あと、Twitterを見ていると様々な感情を見かけるが、どれも等しく大切なものだと思う。自分の感情を大切にしてあげられるのは自分しかいない。感情を理由に人を傷つけていいわけではないが、思うだけなら自由。結婚しているか、今お付き合いしているパートナーがいるか、自分の幸せをどの程度嵐や二宮くんに委ねていたか、これは人により全く異なるのだから、抱く感情も様々でどれが正しいとか間違いだとかいうことはない。二宮くんが「祝福されたい」と思っていたとしても、それだけが正解ではない。もし素直に祝福できない人がいても責めないでほしい。それが自分であっても他人であっても。

 

 

 

こうして色々なことを悶々と考えてはいるが生活は続くし、何なら5×20ツアーもある。前に進まねばならない。この気持ちにけりをつけなければならない。

だから敢えて言う。

 

二宮くん、結婚おめでとう。

嵐活動休止について思ったこと。

2019年1月27日(日)午後。

 

 

 

11時くらいに起きてダラダラと過ごしていた私は、Twitterを見ていた。

 

 

トレンドにある「嵐2020年」という文字。

何か新しいことが決まったかと思い、ワクワクして開いてみれば「活動休止」の文字。

 

頭が真っ白になって、思考が停止した。

スクロールしていくと、FC向けに動画があるとの情報を見て、急いで見にいった。

 

動画を見る前に、文の方が目に入ったのでそっちを先に読むことにした。今思うと、混乱したままの頭でいきなり動画を見ても、事実を受け入れられないとわかっていたからかもしれない。

 

 

5人の思いを、文面で読んで徐々に噛み砕いていく。それとともにどんどん視界がぼやけていく。

 

大野さんの「何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい」、「今できる自分の使命をきっちりと果たしていきたい

翔くんの「嵐を宝箱に閉じこめたい」、「数え切れないほど沢山の夢を見させてもらいました

相葉くんの「嵐の為ならなんだってできます」、「20年目に入り、一人一人との信頼関係や絆は更に強くなっています

ニノちゃんの「嵐は5人で嵐です」、「僕らはいつまでも嵐です

潤くんの「ファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えていく」「5人で団結して走るので、ついてきて頂けたら嬉しい

 

こんな文を読んで、「ああ、これは嘘偽りなく、本当に5人の言葉だ」と実感し、動画を見る決意ができた。

 

 

動画も基本的には文章で書いてあることと変わらなかったと思う。

ただ、そこにある空気はなんとも言えない不思議なものだった。終始真剣な顔をして前を向き続けている大野さん。重い空気を払拭するかのようにいつも通りに努めるニノちゃん、潤くん、相葉くん、翔くん。

お葬式みたいな雰囲気なのにいつも通りでいようと振る舞う、そのちぐはぐさに気持ち悪くなったし、ファンを思うその気持ちに涙が溢れた。

 

 

 

それからはずっとTwitterをしていた。とりあえずこの気持ちを吐き出さないとやっていけない気がした。

 

 

色々なことも考えた。

 

10年以上ファンをやってきて、当たり前だと思っていたことが当たり前でなかったこと。

嵐の20周年を、10周年以上に盛大にお祝いして、その後も幸せな日常が疑いなく続いていくと信じていたこと。

 

12月14日の5×20ツアー名古屋に参戦させていただいて、コンサート後に一緒に参戦した母親が「MCの"ご報告"でポロッと結婚とかの大事な"ご報告"をしそう」と言ったのを思い出したこと。

大野さんが過去に「ジャニーズを離れる」話をしていたこと。特に、15周年のドキュメンタリーの「大野さんが『インド行きたい』って言ってたことあった」という話を思い出したこと。

 

大野さんの「自由な生活」への憧れや「ひとりになりたい」気持ちがわかるからこそ、活動を休止してしまったら、もう二度と帰ってこないのではないかということ。

 

 

他の嵐ファンのツイートも見た。

 

この活動休止は、復帰を期待していいのか、解散前の布石なのか。嵐がいなくなることに慣れてもらう準備のための活動休止ではないのか。(意訳)

 

これが1番印象に残っている。タッキー&翼のことが記憶に新しい今、このまま帰ってこなかったらどうしようと不安が過った。

 

 

他G担のツイートも見た。

 

明日は我が身だと言う人。

他担ではあるがショックだと言う人。

番組やドームコンサートの枠が空くと期待する人。

 

流石に最後のツイートには少し腹が立ったが、かといって同情や共感も嬉しいとは思わなかった。人間、本当に悲しいときは他人の反応は不要なのだと理解した。それと同時に、自分の心の狭さと、無神経に他Gへの発言をしていたかもしれない過去の自分に嫌気が差した。

 

 

かれこれ1時間程、涙も止められないままTwitterを見続けていたら「記者会見」の文字が目に入った。

20時から5人で記者会見をする、との情報を得ることができた。生中継はないが、22時からのMr.サンデーが1番期待できるだろうということも。

 

 

一応20時まで待ち、どこも生中継はしないことを確認してから一旦買い物に行った。

 

お弁当を買ってきて、部屋でひとり、黙々と食べた。

ご飯を食べながら、私はあることを思い出していた。

 

2018年6月8日(金)のビビット

それは、NEWSの小山・加藤の未成年飲酒騒動があった直後の放送だった(私の住む地域ではevery.が見られないため、実質これが初めての本人からの言葉だった)。

本人の口から事実を聞きたいが、受け入れたくない。きちんと見届けなければいけないが、直視したくない。その葛藤で、私は放送が始まる前から吐き気を催していた。

 

 

嵐の会見もそうだ。本人の口からそのときの思いを聞きたいが、受け入れられないかもしれない。見届けなければいけないが、直視できない。吐き気こそなかったが、気分はいいものではなかった。

 

 

ご飯を食べ終えて、またTwitterを開いた。20時半を過ぎた頃だったと思う。記者会見の様子がネット記事になって掲載されていた。

 

 

 

写真を見て驚いたのち、一瞬思考が停止した。

 

5人とも笑っている……?

 

記事を詳しく読んでいくと、その理由を理解することができた。

5人それぞれから発せられる言葉は、それぞれらしい考えに溢れていて、ファンのことを思っていて、嵐への愛に満ちていて、時には冗談も飛び交って、いつも通りの嵐だったからだ。

 

22時からのMr.サンデーを見ていても不思議な気持ちだった。まるで、VS嵐のOPトークやコンサートのMCを見ているかのような、いつも通りの嵐。

活動休止というネガティブな題材を扱う記者会見とは思えない程、和やかに進んでいく。

悪かった気分も、すっと治っていく。

 

Mr.サンデーを見終わったあと、私は笑顔になっていた。

 

ああ、嵐は変わってないし、これからも変わらないんだ。散々不安になったけど、絶対帰ってきてくれる。また変わらない5人が見られる。

安心すると同時に、活動休止という事実が現実味を帯びなくなってふわふわと漂った。

 

 

頭で、「嵐は2020年12月31日を以って活動を休止する」ということは理解しているが、実感が湧かない。嵐としてまた帰ってきてくれると信じているが、もう二度と見られないのではないかとどこかで不安になる。

 

 

 

ずっと、悪い夢を見ている気分だ。

いつか醒めるのではないかと、「これは現実ではないよ」と起こしてくれる人がいるのではないかと、そんな気がしている。

そんなわけないのはわかっているのに。

 

 

 

いつ「活動休止」という実感が湧くのだろう。

 

今日のNEWS ZEROで翔くんから言葉を聞いたら?

レギュラー番組やラジオで活動休止のことが話題にあがったら?

嵐の特番が組まれたら?

5×20ツアーでまた会えたら?

2021年1月1日になったら?

TVで嵐を見られなくなったら?

 

先は見えないけれど、嵐が前へ進もうとしているのだから、私も進まねばならない。

実感はできていなくとも、その時は来る。

 

それまでにコンサートに行けたり、自分の言葉を伝える機会があったりするのなら、まずは20周年を目一杯お祝いして、たくさんの感謝を伝え、笑顔で「いってらっしゃい」と送り出したい。

 

 

そしてまた、「ただいま」「おかえり」を言い合えたらいいなと思っている。